"" (3)日常生活の中での指導、という考え方。
  あなたの足跡:英語版ホームページ ""日本語版ホームページ ""インクルージョンレポート "" 注目(3)日常生活の中での指導


日本では、先に述べたST,OT,PT、あるいは特殊学級担任、ことばの教室指導員などの"障がい児教育専門家”とも言うべき、専門的な教育サービス提供者が、対象の子どもが日常過ごしている教室に出向いてきて実際に指導を行うという例は(私の知る限り)ほとんどないような印象がありますが、アメリカでは、そういった専門家が自分の属するクリニックなどに子供を呼んで指導を行うのでなく、逆に、子供が通常生活している場に出向いてサービスを提供する、という方法論の意義が主張され、その傾向が広まりつつあるようです(私自身が実習で行っていた幼稚園でも、その方法で専門のサービスが提供されていました)。

この傾向を支持する研究としては、

"" 通常学級の教室内で言語指導のサービスを受けていた子供の方が、個別で別の教室に抽出されて指導を受けていた子供よりも良好な般化(指導場面で獲得した技能を他の場面でも応用できるようになること)傾向を示した(Wilcox, Kouri, & Casewell, 1991)。とか、

"" 特殊学級の子供たちの方が高密度・高頻度な指導を受けたにもかかわらず、通常学級内で指導を受けた子供と発達に差がみられなかった(Bruder & Staff, 1998)。などがあります。

 


多くの場合日本で
専門家のサービスを受けようと思うと、日程上「毎日指導」というのは非常に難しく、多くても週に1・2回、1回につき30分~1時間の指導、あるいは月に1−2回という頻度での指導になることもままありますよね。『1日24時間、週7日』という、子供たちの実際の成長の舞台となる"日常生活の時間枠"からみると、そのような専門家により提供されるサービスが占める時間的割合は、"非常に小さい"というべきであろうと思います。(もちろん、その"小さい"割合の時間の中でも、何かしら子どもの発達によい影響や刺激を与えられる!と私も信じているし、そう信じて精いっぱい限られた時間の中で頑張っている専門家の人たちがたくさん日本にもいることは言うまでもありません。)


この時間的に"小さい"割合を占める専門家による指導に対して、"過剰な信頼"がサービスを受ける子供たちの家族などの中に存在することを指摘し、さらに、子供たちの実際の成長は「指導と指導の間」、つまり日常の生活の中で生じることを主張した人たちがいます。アメリカのノースカロライナ州というところでINTEGRATE(インティグレート)というプロジェクトを始めたマクウィリアム(R.A.McWilliam)という人たちです。
このプロジェクトは、スペシャルニーズをもった子供たちとその家族に対して、

彼らの「日常生活」をメインの舞台として教育サービスを提供する

ことをめざしたプロジェクトなのですが、マクウィリアムたちは、そのプロジェクトの中でい
くつかの面白いツール(道具)を開発しています。
たとえば、これからサービスを提供しようとする家族についての様々な情報(これまでの経過とか、家族が活用できそうな人的・物的資源とか、地域との結びつきとか。)を、家族に対する短時間のインタビューの間にに収集する時に用いる「エコ・マップ」。それから、家族を「主役」として明確に位置づけた「家族中心のサービス計画」(Family-Centered Intervention Planning)を立てるための手続きの中で1つのメインのプロセスとなる、ルーティン・ベースド・アセスメント(Routines-Based Assessment) 。

これは、子どもを朝起こすところから始まって、着替え、朝食、トイレ、外出、などなどの、子どもに関連する日常的に繰り返される事柄(ルーティン)を家族と一緒に振り返ることで、その子どもの現在の「発達状況」や日常生活の中での「ニーズの程度」、また、家族にとって何がストレスになっているか、家族がどんな力を子どもが身につけることを望んでいるか、などということを明らかにしていって、日常生活の中で実際にその子どもにとって必要とされている力を見極め、形だけではない「機能的な」教育的長期・短期目標、およびそれに基づいて計画される教育プログラムをたてるために開発された道具です。この方法を用いて子どもの現在の状況について家族ともに振り返ったら、通常の評価の方法では浮かび上がってこなかった教育目標に対する家族の「願い」や「希望」が明らかになったそうです。


このインティグレートというプロジェクト、とても面白いなあと思っているのですが、もう少し勉強していつか日本にも活用したいなあと思っています。このプロジェクトに関するもう少し詳しい情報がほしい人は以下のホームページを訪れてみてください。

http://www.fpg.unc.edu/~integrate/index.htm 


日本で働いている間は、いわば子どもを日常生活から呼び出してきて特別に用意した場面の中で指導をする、という経験しかしたことがありませんでした。正直言って、"担当している子どもたちが実際に通っている幼稚園や保育園に出向いて園の日常の生活の中で指導を行う"、というのは、あのときは全く想像できなかったし、もし誰かに「やって」と言われたら、おそらくたくさんの"不安"と、ある程度の"不快感"を感じたと思います。今考えるとそれは、もちろん、受け入れ先の園側に、「園外からの専門の人を、園での生活の中に組み込んで一緒に協力関係を作る」という枠組み自体がまだ大体どこの園でもなかった、ということもあるけれど、それ以上に私自身が、単にそういう経験をしたことがなかった、というところに端を発した感情であったのではないかな、と思います。と、考えると、アメリカでスペシャルニーズを持つ子供たちと働くための資格をとるために、まずはいろいろな場所(もちろん、今回私が行っていたところのようなインクルージョンを実施している健常児対象の幼稚園や、スペシャルニーズをもった子どもたち対象のプログラム、あるいは、家庭訪問をベースとした、特に乳幼児対象のプログラムなどなど。)で、「一日4時間、週5日、16週間」もの間、内容の濃い実地訓練を行い、さらにそれを全部で3セットこなすことを要求される、アメリカのみっちりとした資格制度の「強み」が実感されてきます(州によって、資格取得に必要とされる実習時間数は若干異なります)。


まあとにかく、その「みっちりとした」カンサス大学の実習で、幸いにして初めて、実際におつきあいする子どもが日常を送る幼稚園のクラスの中で教育的サポートを提供する、という経験をさせてもらったのですが、いかに「日常生活」が貴重な指導チャンスの宝庫(宝庫、宝庫。まさに「山ほど」ありました。)であるかということを痛感しました。しかも、それらは"自然"な場面・文脈の中でやってくるので、子どもも自然に動機づけられているし、自然な結果を伴わせることができる。


たとえば、担当していた男の子に「ありがとう」という手話を教えようとしていたのですが、彼の日常生活の中にはそうするチャンスが山ほどありました。例えば、彼が友達にスリッパをはく手伝いを頼んだとき、園のキッチンに行ってパンをもらいに行ったとき、そのパンの袋を先生に開けてもらったとき・・・。無理に彼が「ありがとう」といいたくなるような場面を作る必要など、全くありませんでした。しかも、その"自然"な文脈の中で生じた彼の「ありがとう」という行動は、「どういたしまして」という、これまた自然で彼にとってうれしい結果が帰ってくる・・・。こんなのを毎日繰り返せるんですから、彼、すぐにその手話を覚えていろんな場面で使うようになりました。


ただ、私がそういった日常生活の場面に隠れている貴重な指導チャンスを生かすことができたのは、私が「ティームの一員」として、彼にとって現在何が教育的目標になっているかを知っていたからで、それを知らなかったら、あの貴重なチャンスはただ単に彼が"人に助けてもらう"という場面に終わっていたかもしれません。つまり、「ティーム」の共通理解としてその子どもの長期・短期目標を一人一人のメンバーが良く知っている(あるいは、よく知らされている)、ということが大切なんだなあと思いました。

 

文責:笠原真帆

  あなたの足跡:英語版ホームページ ""日本語版ホームページ ""インクルージョンレポート "" 注目(3)日常生活の中での指導

コピーライト©2002, University of Kansas, Circle of Inclusion Project.
このウェブサイトに掲載されている情報、資料等の非営利的使用および複製について、断りがない限り許可を申請する必要はありません(写真は除く)。どうぞご自由にお使いください。当サイトの内容を引用の際は、引用元(カンサス大学、サークル・オブ・インクルージョンプロジェクト)の呈示をお願いいたします。

みなさんのコメントや質問等、どしどしこちらまでおよせください。mahomaho@cogeco.ca